「間違えんなよ。お前じゃない。俺がお前を支配してるんだ」
Ⅳはいつもそう口にする。凌牙にではなく、まるで自分に言い聞かせるかのように―。
「…此処でヤるのか?」
足元でガラスが踏みしめられて軋んだ音を立てる。
寂れたその場所は元は教会だった場所だ。
「お前なんかが入れるんだからなんでもありなんだろ?」
そっけない凌牙の答えにⅣは肩を竦める。
「潰れて打ち捨てられて誰も来ないから心地よかったんだよ」
ストーカーさえ来なけりゃな―。
椅子に腰かけたⅣが小さく笑った。
凌牙とⅣは連絡手段など用意していない。顔を合わせたいと思える相手でもない。それなのに、人目を避けるような場所に足を向ければかなりの確率で遭遇する。遭遇してしまう。
それを苦々しく思うのもまたお互い様なのだろう。
夜であったり昼であったり時間などはバラバラだが、誰にも会いたくない時に限って出くわす相手がよりにもよって最悪な相手なのは何かの皮肉なのだろうかとつい勘繰ってしまう。
お互い気分が荒んでいるからか揶揄の言葉すらトゲを孕み、気づけば売り言葉に買い言葉で、凌牙は乱暴にⅣを埃まみれの薄汚れた冷たい床に組み伏せていた。
「嫌なら抵抗していいぜ?」
「…できないって知っててそう言うんだからほんっとお前性格悪いよな」
凌牙の手に肩をきつく押さえつけられ脚の間に膝を割り入れられて、Ⅳは身動きが取れない。
「本気で嫌なら喉笛に噛みついてでも拒めよ。いつまで人形でいるつもりだよ?」
人形、という凌牙の一言に、Ⅳははっと目を見開く。ひくり、と指が痙攣した。
「…人形だったら好いてくれる…」
「誰が?」
「一番、大切な人、」
Ⅳの唇から紡がれたのは、まるで恋い焦がれるかのような甘く切ない声音だった。
すぅ、と凌牙の目が眇められる。
「じゃあその一番大切な人に抱かれとけよ。なんで俺なんだ?」
「それがあの人の、望みだから…」
いつからか、Ⅳは行為の合間にポツリポツリと話をするようになった。もっともそれは独り言に近く、虚ろに空を見つめる瞳は凌牙のことを映してはいない。
「そのお前の一番大切な人が、お前に人形でいるように強いて、俺に抱かれてこいって言うのか?ずいぶんだなぁ、おい?」
一番大切な人というニュアンスにそぐわない。まるで主人と奴隷だ。
凌牙の言葉に、Ⅳは無言で顔を背けた。まつ毛がふるり、と泣きそうに震える。
「まぁいい。エサが目の前にあるなら食いつくまでだ」
意図はわからないが、凌牙がⅣを抱くことを相手が認めているなら、せいぜい利用してやろう。
「んっ…んん!」
「お綺麗なお前しか知らない女どもに見せてやりてぇな。男に脚開く今のお前の姿」
「はっ…うるせ…使えるもん使って何が悪ぃってんだ?」
苦痛を散らすように緩く頭を振ったⅣが薄く笑う。ちろちろと覗く赤い舌に凌牙は目眩がした。
「…あぁ。そうだな」
行為の間、Ⅳは凌牙を見ない。
伏せるか逸らすか、たまに凌牙のほうを見ることはあっても、凌牙を素通りして違う誰かを見ている。
Ⅳに無理を強いる相手、それなのにⅣがけして逆らわない相手、朦朧とした時に助けを求めるようにⅣが名前を呼ぶ相手。凌牙にだって気にならないはずがない。だが問い詰めたところでⅣが口を割るとも凌牙には思えなかった。
ならばわからないままでも構わない。せいぜい利用してⅣを抱いてやる。
凌牙が腰を打ち付ける度に苦痛に歪んでいたⅣの表情が徐々に蕩けていく。紅紫の瞳が痛みと快楽に歪んで凌牙を睨みつける。
Ⅳが堕ちる瞬間、憎い相手が自分の下でボロボロと泣く姿は凌牙に強い興奮をもたらした。
この身体にたっぷりと神代凌牙という存在を刻み付けて忘れられなくしてやろう。
愛情でなくてもいい。憎悪やいっそ殺意でも構わない。凌牙がⅣに抱く激しい感情を、Ⅳの中にも沸き起こして凌牙しか見れないようにしてやりたい。
歪んだ心は復讐を果たしているのだと思い込んでいた。本当は、Ⅳを支配できるその瞬間がたまらなく愛しかっただけなのに。
復讐だなんだとごたごたしたことが終わってもまだ凌牙とⅣの関係は続いている。
それが凌牙には意外だった。凌牙はまだⅣを欲している。若干認めるには癪ではあったが、いつの間にか憎しみではない感情が心を占めつつあった。
だが、もうⅣを縛るものはない。無理に凌牙に抱かれる必要はないのだ。それなのに凌牙が呼べばⅣはこうして来るし、ベッドに押し倒せば呆れたように笑いはしても凌牙を拒むことはない。
「なぁ、なんでお前、俺が抱くのを許すんだ?」
セックスの後の気だるい雰囲気の中で訊くにはそぐわない気もしたが、前からの疑問がつい凌牙の口をついて出てしまった。喉がごくり、と鳴る。
Ⅳの気持ちを知りたい。Ⅳも自分のように心境に変化があればいい。そう願いながら―。
以前は憎悪が勝ったからか飢餓にも似た衝動をⅣを見る度に抱いたからか、気絶するまでⅣを責め苛んでしまうこともしばしばだったが、最近はそういった焦燥や悪感情も鳴りを潜めて、凌牙も多少余裕をもってⅣを抱けるようになってはいた。
それでもついのめり込むことはよくあるし、受け入れる側のⅣの負担は少なくはないようで、Ⅳは凌牙の問いに対して掠れた声で力なく「だりぃ」とだけ呟いて枕に顔を伏せる。
「答えろよ」
ややきつめに凌牙が答えを求めれば、剥き出しのⅣの肩が揺れて、あーとかうーとか言葉にならない呻き声が洩れる。
「………わかんねぇよ」
辛抱強く待った挙げ句のなげやりなⅣの答えに、凌牙が声を荒げた。
「ぁあ?!」
「強いて言うなら…罪滅ぼし?みたいな?」
鬱陶しそうに小さく舌打ちした後、Ⅳが言葉を手繰り寄せながらなんとか答える。目尻が余韻で赤く色づいたままだ。
「はぁ?じゃあお前はそのためなら男に抱かれるってのかよ?」
理解できないと眉を顰める凌牙に、Ⅳはうんざりした表情で付け足した。
「誰でもって訳じゃねぇよ。けど、お前とは俺が誘ったからこうなったんだし、それでお前が望むなら仕方ねぇかって…」
「じゃあ俺がしたいって言わなきゃしないのか?」
凌牙の問いをⅣは鼻で笑い飛ばす。
「当たり前だろ。腰痛いわ疲れるわ情けないわ…誰が好き好んで男に抱かれるかよ」
「…俺だから、特別、か…」
「特別、以外はまぁそんな感じだよ」
―納得していただけましたかねぇ?
Ⅳはどこか小馬鹿にしたように肩を竦めた。
「にしてもお前も変わってるよなぁ。女の方がいいだろうに俺で済ますんだから」
「…お前、俺が女の代わりにお前を抱いてると思ってんのか?」
「ぁん?それ以外に何があるって言うんだよ?」
気だるげにⅣは吐き捨てると、シャワー、と呟いて身体をのそり、と起こす。
内腿を伝う残滓に気持ち悪ぃ、と顔を顰めるⅣは、呆然とする凌牙に気づいていない。
「なにす―?!」
ベッドから降りようとしたⅣを、凌牙は腕を掴んで強引に引き寄せて、しわくちゃのシーツの上に縫い止めた。
「も、これ以上さすがに嫌だからなっ!!」
慌てて捲し立てるⅣの頬を両手で挟むようにして目と目を合わせると、凌牙は苛立ちを込めて叫んだ。
「あのなぁ!お前みたいな骨張った固い身体が柔らかい女の代わりになるわけねぇだろうが!」
「ぁあ!?」
喧嘩売ってんのか、とⅣの眉間に皺が寄る。
「いいか?よく聞け!いくら誘われたからって、好きでもねぇ奴なんか抱けるかよ!!」
Ⅳの両頬を手で挟むように固定して叫べば、Ⅳが引き攣ったような笑みを浮かべた。
「それじゃ、まるで…お前が俺のこと好きみたいに聞こえるぜ?」
「…それ以外にどう聞こえるってんだよ?」
「う」
「う?」
「…うそ、だ…っ」
「ぁあ?!てめぇ人の告白を…!」
「俺なんかっ…俺なんか好かれるわけない!!」
「なんだその思いっくその自己否定は…」
Ⅳの言葉に凌牙は呆れる。
「だって…だって…」
Ⅳの唇がはくはくと震えるが言葉には至らない。
「てめぇが自分をどう思おうが自由だがな。俺の想いまで否定すんじゃねぇよ」
Ⅳの鼻をぎゅっとつまんで凌牙はむすっと眉根を寄せる。
もうこの際だからはっきり聞こうと腹をくくった。
「お前は?」
凌牙の問いにⅣはキョトンと目を瞬かせる。
「は?」
「お前は俺のことどう思ってるんだよ?」
まぁ、好きだってのが伝わってないなら嫌われて当然か…
自分のことを性欲処理に使う男を愛するわけがない。
「…嫌いじゃ、ねぇよ…」
「ッ!!」
「けど…怖い」
目を逸らしながらのⅣの答えは、凌牙が予想したよりずっとましなものだった。
「じわじわ入り込まれて…内側から作り替えられてくみたいで」
「…はっ、いいじゃねぇか。せいぜい味わえ」
凌牙は笑いながら噛み付くようなキスをした。それは乱暴だが優しいキスだった。
「んっ、…意地悪だな」
「俺もお前にそういう目に遭わされたからな。お互い様だ」
「ンだよそれ…俺はなんもしてねぇぞ」
心外だと訴えるⅣにもう一度キスをして凌牙は小さく笑う。
「はっ…お前ってホントタチ悪ぃな」
Fin.
暗渠の果ては、光射す海ー